「母」について探求したことで自分自身の子育てや人生が好転した体験談等を書いている、
運営者のNiko(ニコ)と申します。
同年代の夫と、3人の子ども(小学生~園児)がいる40代女性です。

社会福祉士、精神保健福祉士。
現在は自宅で家事育児とウェブライティングの仕事をする毎日を送っています。
「良い子」だった幼少期~学生時代
私は、自然の多い田舎町で生まれました。
今思えば、臆病で引っ込み思案だった私ですが、

私の両親は教師で、特に母親は優秀な娘になることを私と姉に求めていました。

少し年上の姉には、母は幼少期から特に厳しく接したそうです。
両親、祖父母の仲は互いに良くなく、
互いに陰口を言ったり、時に大喧嘩したりするようなギスギスした家庭でした。
私は空気を読み、「従順な良い子」でいることを選んでいました。

両親は私が中学校の頃に離婚。
離婚の直接的な原因は母にあり、私と姉は母に引き取られます。
この頃から、もともと気性が荒かった姉が
さらに情緒不安定になりました。

私は姉の話の聞き役となり、姉に関する母の愚痴も聞きました。
話を聞き、ねぎらってあげれば二人は落ち着いたので
生活するために私は当たり前のように「聞き役」を行い、
時には父や祖父母との「つなぎ役」も行いました。

「都合の良い」大人へ
反抗期もないまま、「役割」に徹した学生時代を終えるころには
私は無意識に自分の感情を感じないようになり、
いつも笑顔を作り、「普通のふり」をしながら
人の顔色をうかがい、人に従う社会人になっていました。
当時の私のような人間には当然「ずるい人」が寄ってきます。

職場で嫌がらせを受けたり、不誠実な恋人とばかり付き合ったりし、
20代の後半には身も心もクタクタになっていました。
安心できる生活になったことによる爆発
そんな私に、人生最大の転機が訪れます。
学生時代の友人だった夫と、縁あって結婚したことです。

心が安定している夫と、
隣の家に住み、気にかけてはくれるけれども干渉はしない義両親。
初めて私は「安心できる居場所ができた」と感じました。

そして2人目の子を出産し、専業主婦になった33歳のときのこと。
私は毎日言いようのない無気力感に襲われます。

なぜ私はこんなに子育てのエネルギーがないのだろう?
なぜ私はいいお母さんになれないのだろう?
このとき、初めて「本当の自分」について考えたのをきっかけに、
頭の中の大爆発と、ちょっと不思議な体験をします。

変革の中で気がついたこと
それから自分を変えようと試行錯誤する日々が始まりました。

まずは過去に感じていた怒りや悲しみの感情を、とにかく正直に吐き出しました。

私にとってはこれが効果絶大で、
行うたびに、体が軽くなり、視界もずっと明るくなるのを感じました。

すると、今まで育った家庭について冷静にみられるようになり、
専門家の先生から、「機能不全家族」という言葉も教えていただきました。

それまで関心がなかった「自分とはどういう人間か」についても、
少しずつ理解できるようになっていき、
新しい考え方を取り入れられるようになってきました。

そこから数年が経ち、わかってきたことがありました。
面白いことに、過去のつらかった思い出はもちろん
今現在、身の回りで起こっている(母とは直接関係がない)小さなトラブルでさえも、
その多くの事柄について、深く考えて煮詰めて煮詰めていくと・・・
「母」にたどり着くのです。
具体的には、例えば「小さなことなのに、夫の態度にすごくイライラしたとき」
冷静に気持ちをノートに書いていくと、
その怒りは、夫ではなく幼い頃の母との思い出に原点があることに気が付く、
といった具合です。
私が幸せになるためには、一度「母」を整理しなければならないと気が付きました。
そして、専門家の先生のカウンセリングやグループワークを続けていくうちに、
客観的に見て、私の母はなかなか「強烈」であることがわかってきました。
私の母を象徴する具体的エピソードとしては、
- 幼い頃から娘達の容姿や性格をからかったりけなしたりしていた
- 私の結婚式で、私の着たいドレスではなく、母が着せたいドレスをしつこく勧めてきた
- 「私が学生時代から長い間、姉の心の世話をしていたこと」自体を忘れていた
母は離婚後も私たち姉妹を大学まで入れてくれ、
衣食住などの物質的なものも不自由なく与えてくれました。
孫が生まれてからは世話をしてくれ、物理的には助かっています。
母には、たくさん感謝もしている。
「毒親」とまで呼ぶのは気が引ける。
だからこそ40近くになるまで私は気が付きませんでした。
先天的か後天的かはともあれ、
「私の母は、人の気持ちを理解するのが苦手である」
「私の母は、自分の見たいようにしか物事を見られない」ということを。
この事実を、私は時間をかけて深く理解していきました。
最初はどうしようもなく私の母を憎み、
自分の心に従ってさんざん罵倒しました(本人に直接ではありません)。
そうして自分の感情を出して初めて、私の母の生い立ちに目を向け、
私の母も大変だったこと。
私の母の母も大変であったこと。
私も含む私達の先祖代々の「母」には、連鎖があること。
自分の「母」について知り、理解していくにつ入れて、
私は自分の「母」に対して取るべき態度や、
適切な距離感についても自然にわかってきました。
そしてこの世における「母」というものを学ぶにつれ、
「母」や「愛されること」に執着している自分を見つけることができ、
それを認めると、気持ちが楽になることを感じました。
そして現在は、「母」の負の連鎖をなるべく私の子どもに、
特に娘に連鎖させないことについて考えています。
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